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0489 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 489 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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れたることを記するに止まれども、もとより此等が皆同一の戦ひを記せるものなるは疑ひなく、サマルカンドの附
近カトワン、デガム等の地に於て戦ひたるものと見ざるべからず。而して此の戦ひの年次に就いては回教史家の記
する所により、幸にして澄史の誤りを訂し得べきか、其の二一四〇年とすることに於てはイブン・アチルもアブ
ルフェダも同じ。されど、たゞ前者は決戦の時を以て至二一四〇年とせず。余は今原本を見るを得ざれば、上記の
如くプレシュナイデル氏の譯出せる所に據りたりしが、然も同氏はまた塞西亜のグリゴリェフ(Grigorief)氏
の譯によりたるものなり。回教暦の五三六年は西暦の一二四二年より一四二年に亘西したるものなるかも知らず、此
等の戦ひにつきて月名をも記し、これにより てグリゴリェフ氏が一四二年に配置したるものなるかも知らず、此
果して然らばアブルフェダには一回暦五三六年の年次ありて、イブン・ニュ氏は之を一四一年と換記したるに付き
ざる可ければ、両者とも に亦相一致するものの如く外ならず。今イブン・アチルの書を見るを得ざるに付て、此
の點については此れ以上に論議するを得ざれども、近時の學者、ヴァムベリ氏の如き、バルトールド氏の如きは
等しくイブンエルアチルの書に據りながら折之を以て一一四〇年のこととなせばその如き、此等の諸氏に從ひて之を同年のこと、と見んとす。
tholai, Turkestan, 3d. part. p.339)、余もまた暫之を以て一一四〇年のこととなせばCambery, Bokhara, I. 113 Bar-

五 大石の即位と西遷の年紀

本文によれば此のサマルカンドの戦の後、大石はここに駆ること九十日にして、西の方起見漫に至り、甲辰歳二
月五日始めて位に即きて葛見空と號し、延慶と改元し、其の玄宗師を斬して東歸し易行二十日にして當都を
西遼建國の始末及び其の年紀