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0492 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 492 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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イブン・エル・アチルは大石死歿の年を一四三年とせると上述の如し。フライウドチンは大石がトランスオキジアナを征し、其の将エルヌズをしてホラズムを征せしめ、之と和約したる後幾何もなくして死せりと記せども、明らかに其の年次を得ず。たゞ此の時に近かりし使奏し得るに止れり。今漢史の記する所につきて之を考ふるに、金史粘罕韓奴傳と記せり。されは其死は此の使入貢、晋大石與共國相磯、大石匿死、詔遺韓奴、興其使、因觀其國風俗、と記せり。これより一回乞遣使入貢、晋大石與共國相磯、大石匿死、詔遺韓奴、興其使、因觀其國風俗、と記せり。されは其死は此の使入貢以前のこととなると共に、また一二四一年の戦以後に属すべきこと勿論なれは、イブン・アチルの一四三年と記せるは、思ふに正しく西遷四代の君主の在位は合せて六十八年なれは、一二一一なるべきことを此の年に記くことを得べし。西遷滅亡の年は甲辰の年より八十八年を経たる宋の寧宗嘉定四年(二二一)なるべきことにより之を減ずれば一四三年となり、以て東西の記録の四代の君主の死時に關して一致するものなるを知り得べ
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