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0497 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 497 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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たが、しかし実はその系統はベルラスと云ふて、古くから土共に名前い部族に属するので、蒙古の成吉思汗族が勢
力を得た時には、彼の記録に見えて居る。此のカラシャールといふ人は、父は成吉思汗の第二子なる察合臺、即ち中央亞細亞
の地方を領して、察合臺の記録に此の人の基を作った人の宰相として、父のベルラス家の所領となっていたのである。それでは何故に帖木兒が蒙古族と
名は追早く蒙古の地方は實に此の人の時からベルラス家の基を作って居るのである。また彼の自傳と稱木兒から聞いたことは〔ヅザ
居る。ケシュの地方は實に此の人の時からベルラス家の基を作って居るのである。また彼の自傳と稱せらるゝ〔ヅザ
して傳へられたのであるかといふに、これは彼自身がその基を作って居るのである。此の傳説のあって蒙古族といはなければ今
キ・チムーリ〕といふ書物に、同一の系統の宰相カランチャールが自分の祖先のことを記して居るのである。此の傳説のあって蒙古族といはなければ今
して成吉思汗と自分の家物とは同一の系統であるとのことを記して居るのである。此の傳説のあって蒙古族といはなければ今
一々論証する要とはあるまいが、それにしても折角の自分の系圖を偽って、何の必要があって蒙古族といはなければ今
ならなかったのであるかとは、人の疑問とする處であらうと思ふ。しかしその理由は極めて簡單である。察合臺系統の
出た當時の此の地方の有様を説けば剴然することではあるが、要するに當時は例へ有名無實にしても、後に彼の
の君主が引き続いて此處を支配して居たのだから、彼が斷たにこれを統御するに當っては、その血統に屬するものの
であらうと思はれる。尤も彼が此の蒙古系の家からその妃を迎へたことは明らかであるが、少くとも名門を誇るに足
つたであらうと思はれる。尤も彼が此の蒙古系の家からその妃を迎へたことは明らかであるが、少くとも名門を誇るに足
自身の系統に關係するものではない。

   帖 木 兒・大 王

四五九