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0506 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 506 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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四六八

である。されど休止することを知らないのは英雄の不運とでもいふのであらうか、彼の志は決して狙の小天地に限ることは出来なかった。即ち此の事業を土臺にして世界の四方八方に雄飛を試み、終にペルシァ、シリア、小亜細亜から南は印度の恒河地方に及び、東は天山の南北、北は彼の此等の飛躍についてまで、一々煩らはしい筆を運ぶ彼の生涯に得た大勝利は二十五回と数へられて居る、実に彼の生涯の終りには、トランス・オキシァナの王冠は、夢はあるまい。ギボンの才筆が数等に数へるが如く、たゞここに簡単な記述を省くことの出来ないのは、彼の星生の目的であった中の一つであることを知れば充分である。

が、彼は千四百五年四月二十七日の夜、〔三正綜覧によれば一四〇五年二月十七日にて、ザファルナーマには斯く換算す
るが、自己の換算によれば一四〇五年二月十八日、〕三正綜覧によれば一四〇五年二月十七日にて、支那征伐の途中シル河畔の営に討伏して病の爲に没したのである。この事は極めて普通に知られて居るが、しかしその支那征伐の事業は晩年細かに研究して彼の此事業は凡かならぬ考へ出したものであることが、実に千三百九十七年
けれども多少集めたことも あった。されと西方諸国の事情は如何にしても彼は征途に早く
にはをの爲兵を集めて遷延して此の
ない。その爲兵を集めて遷延して此の

らの彼の悪逆した處にて此の時に及んだ大弟の富貴と個士の廣大な帝業は、
を許さなかったので、終にも知らねばならぬ。支那は当時明の世で、とにかく支那の富貴と個士の廣大な帝業は、
彼か二年餘りの歳月ながら航来兒と治世を同じふした譯である。支那は当時明の世で、此の不世出の厨雄が五ひに其の治の初めと終りと