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0507 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 507 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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に於て相接し、そうして将に干戈の間に相見ようとしたのであって、もし今数年の運命を帖木児にかたたならば、
東洋史の鋒先を振りまはしたならば面白い大波瀾が書かれたかも知れないのである。もし帖木児の軍が支那の境上に迫られて、そ
の得意の鋒先を振り出しての此の軍窖が、どんな仮定の下に、今種々の想像を回らさうとは思はないが、それにし
ても帖木児最後の思ひ出としての此の軍窖が、どんな仮定の下に、今種々の想像を回らさうとは思はないが、それにし
のことではあるまい。
先づ集まった軍隊の数を見ると、当時彼の勢力範囲であったさて此の二十萬の軍を支那に迫るといふことは、その
何なる事業も成就することが出来る」と期したのであった。さて此の二十萬の軍を支那に迫るといふことは、その
道筋のことを考へて見ると実に困難な仕事である。道には忽論天山の険が横はり、不毛の沙漠が擴がつて居る。
則ち諸将に論じて驟者各人について始めたが、之は道すがら種の驟路に於て兵
ったであらう。そうして穀物数千荷は軍用の車によって運ばれたが、之は道すがら種の驟路に於て兵
糧の用に供しやうとしたのである。尚ほまた七年間を支へゆべき乾草の飼料を用意し、其の他礼十三頭、孔至十頭宛
を各人に携させて途中の食糧の欠乏に備へしめたと書いてある書物もある。其の数量の上に於て各人に
となるまいが、とも角に此の地方を通過するに当て、かほどの用意のあったことは確實である。昔から支那や蒙古の軍隊が、西域を征伐した
ことは度々あるが、此の地を通過するに当て、かほどの用意のあったことは確實である。昔から支那や蒙古の軍隊が、西域を征伐した
は沙漠の間に生命を失ひ、或は荒野の住人と化した様な始末は度々演出せられたのであったかが知られるであらう。不
旅の有様を見ては、如何に彼の用意の周到で、従って此の征伐に重き張を置いて居たかが知られるであらう。不

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