National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0510 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 510 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

に最も近く彼を傳した『戰勝記』は「虚僞を惡みて赤裸々の誠を愛し、大膽勇猛にして他人に畏敬せらるゝ人であ
さて今特に此處に書き加へて續くべき批語であらう。
た」といふ彼を傳した『戰勝記』は「虚僞を惡みて赤裸々の誠を愛し、大膽勇猛にして他人に畏敬せらるゝ人であ

四五二

ひまはるのみの王であったと思っては甚だしい誤解である。彼には『ヲムム・チムーリ』といふ自傳がある。荒猛子の如く狂
トルコ語でかいたもので、之が波斯語に翻譯せられて今日に殘って居る。また別にその法制ともいふべき『ヲムム
ットム』なるものがある。政治の方針より始めて、宗教に對する考、軍隊の組織などを仔細に敍述したものである。そうして征戰の間
には、どの國の彼自身の著述によっても、如何に彼が文明の君主であったか想像することが出来る。捕虜としてサマルカンドに迫り、そ
こで各々の藝能をも好んだとのことである。聖典を護謹し、學校を建て、自からもトルコ語の外にペルシャ語の智識も持って、
その詩歌をも好んだとのことである。聖典を護謹し、學校を建て、自からもトルコ語の外にペルシャ語の智識も持って、
之に費したとかいてある。當時秩序のなかった時代、彼の熱心と精力とを征伐の方面に向けて、終りに有名な征服者
たらしめたものであらうが、もし靜平な世の中であったならば、彼は必ずず他の方面に於いてその天才を發揮し、名
を史上に殘した人であらうといふのは、英のマルカムといふ人の彼に對する批評である。

一〇 帖木兒と成吉思汗

史家の中には彼に大王の稱を捧げたものもある。もしその經略の跡から見て歷山が大王であり、また彼の後なる