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0511 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 511 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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バベルが大主であるならば、勿論此の榮譽は彼の荷ふべきものである。しかも茲に常に彼が理想の人と認めた英雄
があった。云はゞ大王の認めた人があった、彼に先き立つこと一世紀にして、忽手世界の形勢を開造し
た棄古の成吉思汗がそれである。彼の生涯は或は成吉思汗崇拝の歴
史家は彼を目して人道の筆鋒を向けるなし、頗りに攻撃の筆鋒を向けるものもあるが、しかし彼の
せられ、英雄としての巨匠としての一族長にすぎなかったのである。況んやその後は相別れて亜細亜の各地に君臨し、帖木
兒の家の如きもその臣下としての一族長にすぎなかったのである。此の際四方略者として彼等の間に繁
範を此の英雄に取つたことは、誠に自然の勢のあらう、彼の所謂の法典に
ある。例へば回教國では勿論回教経典稱聖なものはない、然るに帖木兒については、その消息を知り得べきこと澤山に
として古回教地方に傳へらるゝ札撒と稱するものを極端に尊重して、之を聖典と同視し、萬般のことに基
りて定めやうとした。その結果終に回教僧侶の感情を損ねて、人殺の法を聖典と同様に見るが如きは異端者の所爲
であるとの激烈な非難をうけたこともある。彼が蒙古族と稱し、夫年の支那征伐の際にも蒙古恢復といふ名を立て
たのも、此の成吉思汗崇拜と關係する處少くあるまい。

一一 帖木兒と宗教

最後に彼と宗教との關係を述べて此の続述を終ることにする。彼が果して眞正の回教徒であったかといふこ
とは、常に彼の傳記を草するもの、論ずる所である。そうしてかゝる議論の多くは、その所が経験の規定する處

帖 木 兒 大 王

四七三