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0518 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 518 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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四八〇

兒罕に來て居つた使節を囚ふるに至つたまつ
居たものと思はれる、即ち當時彼の考は、戰勝記の如くは〳〵支那征伐と定まつ
此の如くにして將に善処節を囚ふらふ、まさにこれ後年彼が慾々の勢力は、偶然の事情によつて先づ南の方印度に向かかされ
ねばならぬことになつた、東に向て發するすべき管であつた年彼の孫なるビル・ムハッタは、印度の北境を囲めて、こゝから帖木兒の許に接助を求めたが、これ
が丁度此の計畫の際に印度征伐に侵入して、一三九八年にハメルタ城を囲むで、東征を見合せて斷然印度征役に決心したのである。
て來た、そこで此の書面の衝突は「此の消息に接して吾が決心に成り、彼は経年鼓舞させられた」と見て之に居る、かゝる次第で明と撒馬見
チムーリの衝突は一時免かることが出来たのであるが、しかし帖木兒は之を眞直にもその師を翻したならばその志を翻したとしてもな
く、罕朝廷との衝突は「一時免かることが出来たのであるが、しかし帖木兒は之を眞直にもその師を翻したならばその志を翻したとしてもな
あつたと思はれる。「さればこそ、抑留の明使の一行は引き続き廣大の有様を
見せて威嚇して居る「明史撒馬兒罕傳」のみならず、尚は此の際抑止どめつた一度目の使節も、その廣大の有様を
四へたのであつた、刷し洪武三十年(一三九七年)に、明からは更に北平按察使陳德文等を遣はしたが、「明史、明
實録も、殊域周咨録等、もより其の目的は前使抑留のことに就見その一の問責であつたと思はれる、然るに此の際の使節の
一行も、また〳〵同様の災厄に遇ふて、帖木兒の在世中は歸ることが出来なかつた、此の如く此の際にその一
使者を抑留したのは、彼が對明政策の變化しない証據で、從がつて時機の許す以上は、直ちに軍を支那に遣つてその出
違ないと想像し得るのである、一方明の方からしても、此の如く度々その使者を囚へられて、寧ろ挑戰の意思に出