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0527 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 527 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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肅遼兵管宋慶に勧し、儆備せしめた」と記して居る。永樂二年元日は、一四〇五年二月二十一日に当つて居るから、
の任に当った人で、腰々功を邊隣に防禦策を講じた人であるが、此の際知何なる計畫を立てて居ったかは全く解らない。
かゝる間に帖木兒の方では遂に此の征途に上った、モーガリスタンの王に防禦内か立てて接助を迫り、自からは、
○五年一月八日に都を発して此の征途に上った、まだ支部では何等の講じやうとして居ない、四一〇七年の
十二月八日のことである、かくて其の三月二十五日には同じ河畔の霜打と云ふ地について、
本營を此處に駐めて居ったが、その三月二十五日から不幸病に倒され、四月一日(囘暦〇七年 Schaiban
月十七日水曜日)の夜終に於ける盛名は今更記する要はない。世間往々にして帖木兒を以て一個蛮族の酋長にすぎぬ如
永樂の交武道に於ける盛名は今更記する要はない。世間往々にして帖木兒を以て一個蛮族の酋長にすぎぬ如
くに解するものもあるが、それは大した誤記である、彼が厚く其の時代の知識に通じ喚して居たことは學者が論
じて居る。チャガタイル語文學の黄金時代が、帖木兒に始まつべルに終るといふのも定評である、彼が學
者の保護に勉め、美術工藝の奨励にも意をとめて、首府サマルカンドの名を四方に傳へ、此の地名高き科學研究
の基を開いた功績も記せねばならぬ、更に彼の不撓不屈の性質を以て、当時戦を事とする世の中に生れ出でたたけれど
主と稱するを拒まぬ功績も記せねばならぬ、たと彼の不撓不屈の性質を以て、当時戦を事とする世の中に生れ出でたたけれど
から、彼の生涯は既に終り、やゝもすれば残酷、壓制、野心家等の好ましからぬ評を招くに至ったが、かくて
も、かゝる類例は世界の偉人に就て片端から數へ得べきことで、必らずしも彼を斥する所以ではなから、かくして

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