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0531 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 531 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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も、これによって幾分でも此の地の過去の事実を朗かにしようとする努力に外ならなかった。併しながら眼にかゝ
る類の書物から得た知識のみでは、到底満足な結果を得ることは不可能である。こゝに於てか更に進んで中央亜細亜探検の幕
史料を蒐得ようとする試みが、相ついで現われて来るのは当然のことである。かくして直接中央亜細亜探検の幕
が開かれて来る。

二 古代の遺跡

謂ふ所の中央亜細亜とは、便宜上支那本部の西、西藏を南にした崑崙山脈の北世界の屋根と稱せらる、崑嶺の
東、葱嶺より起つて東に延びる天山山脈の南、地理上の區劃でいふ天山南路の地と定める。即ちタリム河の流を
中央に推した、嘗の書物に記せる沙漠が廣く此の間に擴がつて居る。古来人民の住
んだ處は其の中に點在する水草地と、山腋と沙漠との間に於かれた僅の沃地とに過ぎないが、それでも東と西方
諸國との間に其の地を經過する交通は、此の地を通過するより外は無かつたもので、今日なは昔ながらの隊商のことを通し
て、諸種の物資の運輸に從事するものが少くない。流沙といふ名は此の漢の時代に所謂西域三十六國、後に五十餘國と數へられた諸國
は、皆此の間に位置したものである。如何なる理由によつて其の位置を變へ
縁邊に向つて其の沙土を擴げて行く。それは昔は三十六國とか數へられた諸國の中、尚今日に存する
ものは其の数が少く、空しく沙土の下に埋められ、その存在するものも、同じく砂の侵入によつて多くは位置を變へて

四九三