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0537 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 537 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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の探検にも従事した。ここに是那附記して置かねばならぬことは區劃上嚴密に謂へば中央亞細亞とは區別すべき
も知れないが、これと接觸せる史乘に見える宗祐甘肅省の一地、燉煌とは區別すべき
は、古く漢代以來支那の史乘に見える宗祐甘肅省の一地、燉煌に當る水卓地に、一眸の丘陵があって、その麓に今は
吾が國にも有名になった千佛洞がある。恰も蜂窩の様に丘腹を穿って連れた洞窟寺で、洞内には佛像を祀り、
窟の内外を繪畫彫刻を以て飾ることは、諸方に存在する千佛洞と同一である。スタイン氏が第二回目の探検に於て
ここに迫りついたのは、一九〇七年の三月であった。この時或人から、一年許り前に、一つの
佛洞から、漢文や異體の書で書いた多くの書物を見出したことがあると聞いた。ので、僧かの喜捨を作
た。此の佛洞は全く砂に埋れてあったのを、八年前に王と言ふ道士が、僧かの喜捨を作り、漸次佛洞の内部を修繕した、窟内の窟座の佛像を取換へる際に、通路の
り、二三年もか、って掘出したもので、漸次佛洞の内部を修繕した、窟内の窟座の佛像を取換へる際に、通路の
右側の壁に少しく龜裂があって、其の奥に宮があるのを一九〇〇年の様に見えたので、壁内に見たところが、
宮が現れはほゞ一九〇〇年の事と思はれる。これはほゞ漸次佛洞の内部を修繕した一
宮が現れて次第であって、僅に人一人を容れる狹地が存したきけであったといふ。宮内には書物を輸書の類が五百立方呎は か
り積上げてあって、總督衙門に報告され、數種の見本も送られたが、其の見本の内容が佛典であったが局、書物發見のことは早速道士から蘭州の
す、其の儘に保存せよとの指令を得たとのことである。役人たちには、譯もからぬ數束に餘る古書の爲に、運賃を
掃ったり、保存の面倒をかけられたりするのは、定めし迷惑なことであったらう。

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