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0546 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 546 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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要なる位置は今更繰り返す迄もないが、美術とか音樂とか、其の總種々の方面からも、支那の文化に關係する所少からなかった思はるゝ此等の國の人種が、かく女書の上から明らかに定められ、アーリヤ種の文化が惡覇封東の地に定した人は多くあったし、またそれが顧る合理的であったにしても、唐代迄はアーリヤ種の文化が惡覇封東の地に榮ひてあるものであることを定的に知ることが出来るに至ったのは誠に快心のことである。
 此等の研究は前述の通り旣に三四年も前に發表せられたもので、今日これを紹介するのは其時機を失した譯であるが、然も案外人の注意を省かずに居るやうであるから、後れながらここに其の大體を紹介することにする。

Lévi 敎授の論文は一九一三年の Journal Asiatique, Septembre-Octobre 號に
Le "Tokharien B", Langue de Koutcha
と題して掲載せられたものである。

氏の資料に用いたのは一九〇七年の初めに、Pelliot 氏が軍事の附近 Saldirms 驛近くの昔の蛛々の廢墟から發見した多くの木牌であって、その一方の面にブラーフミー文字、B種のトカラ語が書かっけてあるので、四方にV形の切り込みが施してある。大概長さは八―一六サンチメートル、市は四―一〇サンチメートルのもので、Lévi 氏の研究によると、それは大概通行免狀で、出發または入國の交附したものである。氏は先づこのB種のトカラ語なる名稱を鑑識する(Koutcéen)と更めねばならぬことについて論じて居る。

『元来このBトカラ語なる名は、F. W. K. Müller 氏の附けた所であるが、これは限定の名稱ではまた一時的の