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0548 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 548 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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五一〇

zovski の庫車附近から發た木牌の斷片に見ゆて居る王の名につても證することが出來る、唐書には蘇伐疊は蘇
伐勃駛(Soufa Poukiue)の子となつてあるが、駛(kiue)は思ふに駛(chie)の誤りであらう、と論じ、かく
Swarmate が蘇伐疊である、ことが確かなる上は、此等の Sidal rune の木牌が大宗時代即ち七世紀のものであらねば
ならぬといふ歸着語が眞に龜茲語を打ち消す爲には、それは或る征服者の冒語が被征服者の間に行はるるに至つ
たものであるかも知れないといふ論證があある
更に此の木牌の龜茲語が眞に龜茲語であるとしても、次の如き論證がある
『玄奘三藏に據ると「王扇氏種也」と記されてあるが、實に「白」なる姓は一世紀以來龜茲當時に至る近龜茲國の王
姓である、されば B 語のトカラ語也を許す少くとも一世紀以來龜茲國の土語でであったものである、ほとんど紀元前の百
年頃、郎ち漢の武帝の頃近溯ることを許す支那の記録に、何等此の國の人種の變遷を書いてゐないことを考へる
と、倘以前から同様の有様であったことは疑ない』といふのである。
年頃、一ッ Lévi 氏によつて殘された問題は、前に記した ksun なる語の解釋と、1 23 ksun を、初め支那の年號の制を支那に臣服した龜茲王が用い
たと見るかといふことである。犬も氏は1 23 ksun を、前よりないから、其の元年號から二十三年迄支那に臣服した龜茲王が在位した
たものであらうと考がへ、二十三で終る氏は真顯よりないから、其の元年號から二十三年迄支那に臣服した龜茲王が在位した
ものと假定したのであるが、これは研究を進めるに從がつて矛盾を生じて來るので中止して、只だ Swarmate ksun が在位した
といふは統治の年(Les annes du règne)であらうと推察したのである。ksun の論義に就いては、次の紹介
する Konow 氏の論文中に、氏の解釋が見ゆるが、1 23、1 6 の年に就いては、此の論文の發表せられた翌年、即