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0549 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / 549 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000267
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ち一九一四年の通報第二號に' Aurousseau 氏が Propose de L'Article de Sylvain Lévi: Le "Tokharien
B', Langue de Koutcha' を題した短篇を載せて解釋を試みてあるから、併せて茲に附記して置く
Aurousseau 氏に據ると、「蘇伐勃映 (Suvarṇapuspa) が唐の高祖の即位を祝する爲に使を遣った年次は唐書に見
ゐて居るが、氏族興奠卷五十二にも「蘇伐勃映遣使來朝」尋卒、子蘇伐疊立」と見え、また資治通鑑補正には、六一八年(武德
元)の條中に「邊芸王蘇伐勃使入朝」と見え、「高祖武德元年蘇芸遣使入朝」と見える。而して Swarnaté の位に即いたのも
は六一八年で、その數との間に共通點を補()ことが出來る。一方 1 ksui Swarnaté の王の即位は六一八年と十
八年で、その死は六四六年である。其の治世は二十九年間である。1 ksui Swarnaté の死没の年に遣週する。それは何故可
れば 618+23 ksui+6 ksui=646 となって、Swarnaté の死没の年に一致するのである。併しながら、6
此の假定を是認すると、1 の了解す可きことになる()、一數千に四〇年近免狀の通行免狀の日附けの最後の Saldīrang 厩の
四一年に 1 ksui が始めるのだという問題である。殊にまた、Saldīrang 厩の通行免狀の日附けの最後の運年
が、Douldour Aqour の第一 ksui 6 ksui の最後の年と一致することを説明年
るもの 1 も存しないか、救するのは此の Swarnaté ksui の年なるものは Swarnaté の統治の年と一致するものでな
いかも知れない。かくて問題は盆々紛糾し、救れば此の ksui 21 ksui 21 なるものの數は、六四六年よりは前ならず、
ならずといひなくて止る。尚またかの Douldour Aqour の記録斷片が、22 23 ksui と數へべく、6
その後に直ちに 3 ksui に起ったことを連接して讀むとあるといふ事が何故に 23 と 3 との間には何(つ)しく

論攷・宇闥の研究

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