National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0560 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 560 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

の文字の見ゆるものありて、吾著が援助をなせし等の爲か、或は使を以て勝を祝せしが知きことあり、因て思ふに此行或は趙真征伐て其勞を慰するものにはあらざりしか。もとより趙真の名よりしたる想像にすぎざれども、吾著と高昌との地が隣接をよりして、此想像も必らずしも蕃廡之を祝するの常なるよりして、「王使調復從北房中與嚴參事住一の辭を見る時は、此不信の甚しきものにはあらざるべし。かゝる考之を見る時は、此五月七日なるものは越真の降伏を去ること過ぎにはあらず、五年成は咸和三、四、五年頃〔西紀三三〇乃頃〕のものなるべし。
とするも、趙真の事件を去せし年成は其是非とも過ぎにはあらず、一年に置くことを得べきか。もし然らず

 次に「月二日到此」と記し、「此二」一字の傍に「海頭」と記せり。これ此文書を草せし地が海頭なるを證するもの
 即ち此文書に見ゆる五月七日は咸和三、四、五年頃〔西紀三三〇乃頃〕のものなるべし。
といふべし。海頭の文字は別の「此二」一字及び先に揭げた斷片にも見え、もとより羅布泊(Lohnishin)頭の意に外なら
ざるべし。或は吾著朝ち今の哈喇沙爾(Karashin)附近には、大澤巴格喇赤布里(Boginshin)朝ち一に博斯
 往昔巴格喇喇赤を呼びて或は浦といひ、水經法等には教疏を謂するもの、或は藪といひ、存するあれば、必らずしも羅布泊を限る可らずといいはんも、然も
勝闊といひ、次に羅布泊と稱するものはあれども、未だ海といふものを知

五三二