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0561 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 561 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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らず、而して清昌海、絹日海、宝蘭海、臨海等は、古へ羅布を呼ぶに最も普通のものなるは、普く知悉せらるゝ所
ものなりとす。されば孝柏が烏香塩の傍に西に四に来るや、まさに羅布泊の頂邊を縦、此處に此地方の歴史地理の上に、一
大光明を附與するものなるを云はんとす。茲に於てか余は此事實の上に立ちて、此一葉の文書を草して其主に致したる
切も羅布泊の位置に關する問題は、嘗てプルジェヷルスキー氏
(Kara-bulan)、カラコシュン(Kara-koschu)、雨湖邊の地なるを設きてより、リヒトーフェンてカラジャン
は地理學上の理論と、古書の示す所とを合せ、更にプルジェヷルスキー氏の駁論あり、近くヘディン氏
赤之が斷定を試むるにあり、東洋地理上の問題とする所は、橘氏がコンチダリア
低此等の議論を以てしては明確に知り得るものなりとす。而して此書は野村氏の言によれば、橘氏の西南端に到
(Konische-daria)を経て、大體に於て西南の方向を取り、庫爾勒附(Korla)を経て、北緯四十一度五分の邊より轉じて東南に向
して、大體に於て西南の方向を取り、庫爾勒附(Korla)を経て、北緯四十一度五分の邊より轉じて東南に向ひ、
チケンリク(Tïkkenlik)の北方にてマルタククル(Maltakkul)なる湖を生し、水の大部は再び轉じて東南に向ひ、一部は
タリム河(Tarim)の支流コクアラ(Kok-ala)に合してクンツェキン、タリム(Kuntsehekkinam)と確し、而して其除は
一部はツィヴィリク(Tschiwillik)湖に入りて更にタリム河と合し、又一は直ちにタリム河と合す。

イレク(Ilek)河となりて東南に流れ、終にヘディン氏の所謂北方羅布泊(箇所によりて Ayullu-köll, Kara-köll,
Tajek-köll, Arka-köll, Atka-köll 等の名を有する一帯の湖)に入るものなりとす。(Hedin: Durch Asiens Wüsten II. S. 141

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大谷伯爵所蔵 新疆史料解説