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0565 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 565 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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国の條及び、親略、前疏(引忘)によりて知り得る所なりとす。而して庫普に所謂磧路なるものは、此羅布を過ぎて支那に達するものをいふなるべし。吾人はヘディン氏の探検によりて、羅布と鳶奢とを通ずる古の行軍路が、なほ跡を今日に残せるものを見る。氏は庫爾勒よりチケンリクに至るに、一路磧を今日に残せるものを見る。氏は庫爾勒よりチケンリクに至るに、一路磧を行くもの、二はタルクタグの麓を行くもの、三は庫爾勒よりチケンリクに至るに、一路磧を行くもの、二はタルクタグの麓を行くもの、三はコンチダリアに沿ふもの、氏自からは其第三路によれり、且毎に「鉄路」に示されたる木面して是につきて記して曰く、「旅行中に古けれどもよく保存せられたる木面して是につきて記して曰く、「旅行中に古けれどもよく保存せられたる木と粘土とを以て作れる高き矢塔の連続せるものを見たり、これ此道が昔時コルラより或方面に通ずる重なる行軍道路なることを示すものにして、北緯四十度二分の一の地にロブノール迄しものなる沙路の間に没すと雖、昔は支那の地圖に於て認むるが如く、北緯四十度二分の一の地にロブノール迄しものなる沙路の間に没すと雖、昔は支那の地圖に於て認むるが如く、位置を變じ、鳶に此道も棄てられたるならん」とDutchば、思ふに此所に通じたるものなるべし。此道はもとより氏の云へるが如く、ロブの水乾きて位置を變じ、鳶に此道も棄てられたるならん」とDutchば、思ふに此所に通じたるものなるべし。此道はもとより氏の云へるが如く、ロブの水乾きて磧中を羅布に達したるものに相違なく、而してまた教煌、玉門口より来る沙中の道と相連りたるものなるべし、殆ど疑なかるべし。漢唐以来の道は幾分か變じたるべしと雖、単に二三の行人のみならず、實に軍隊の通路として今日に残せるものの最も普通のものを得べく、面して此兩道の間を通ぜる此道が、當時の臨潼頭が、其位置を示し、かれて當時の支那と四域との普通路の

なりしを知る。余は此文書が當時の道の光明を附與するものなるを云はんとす。上に書籍の記載と相待ちて、道の光明を附與するものなるを云はんとす。されば李柏の前涼より派遣せらるゝや、所謂北道によらず、磧路を取りて鳶奢に向ひ、途次羅布沿岸にありて

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