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0575 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 575 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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史書に此等の文字の少いのは動かす可らざる事實である。たゞ吾人の自ら戒むべきは此種の論遽に於ては、極めて
確實ならざる限り、餘り斷定的な文句を用ゐる事は今更なながら避けねばならぬということである。阻鞨二字は
疆韃達相等と似て居るから、もと之を読んで阻鞨の名を生じ、そうして放らに此の誤れる形
を用ゐて忌諱する所を避けたものであらうというふのは、論者の面目躍如たるものがあると思ふ。今は之を讀者の到斷に一任しけれ
ついて自分の研究を進めるまで此の考に對して賛否を表することを差控えて、今は之を讀者の突嫌可汗や二千姓に三字を
ばならぬ。たゞ疆韃即ち、Tatar という部族は唐の開元時代に於て聯続連可汗や二千姓に三字を
もの、中に見えるやうに、当時三十部とか九部とか=節内博士は単に此の確文に三字を挙げ
挙げた が、實は其の外にも Toghuz tatar 即ち九部 Tatar の名も見えて居る=數へらるゝ事を
も元の記せる四部、ラシッドの記せる六部、逐史に見える九部などがあり、そうして此等遊牧部族の名
稱鞨制などは此だ到し易からさるもので、阻鞨の如きも或は元の史臣が疆韃などの名を避けて、北人の間に通用された
疆韃の別名を用ゐたものに外ならぬではないかと考へ見るのも一つの解釋の方法であらうということを附記するに
止めたい。

五三七