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0581 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 581 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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大月氏國王治……貳城……而老上單于殺月氏。四十七百四十里。其頭爲飮器。月氏乃遠去過大宛。西擊大夏而臣之。都媯水北爲王庭。攻破……大夏……木居……媯水……繚煙常連間。至三……
媯水北爲王庭。攻破……大夏……木居……媯水……繚煙常連間。至三……
媯水北爲王庭。攻破……大夏……木居……媯水……繚煙常連間。至三……
嫣顿單于爲王庭。攻破……大夏……木居……媯水……繚煙常連間。至三……
者。……几五翎侯。一曰:休密翎侯……大君長。……域邑往往置小長。……三曰:雙靡翎侯……三曰:貴霜翎侯……四曰:肸頓翎侯……五曰:高附翎侯……皆臣屬之。共衆……漢使……

とある。この本文中「大夏本無大君長」以下の記事はすべて当時大月氏に属した大夏の状況を述べたもので、かく解釈してこそ結末の「几五翎侯、皆属つて五翎侯のことを書いたものと認めなければならぬ。右の一句は殊と疑賛同様となる譯のである。大夏はマルト氏が記載してあるけれども、之は後世のもので信憑し難い。へ属つて大月氏」の二句が始めて落付くのであつて、これを従来の見解の如く大月氏のことと解するならば、右の一句は殊と疑賛同様となる譯のである。大夏はマルト氏が記載してあるけれども、之は後世のもので信憑し難い。へ(Tokharian)に擬定してゐるのは尤當と考へられる。後漢書の西域傳に五翎侯を大月氏が建てた様に記載してあるけれども、之は後世のもので信憑し難い。書の本文に拠ると、此等五翎侯は大月氏の建てたものでなく、大月氏に属したものである。その後五翎侯の一つの貴霜翎侯の勢強大となり、逐に他の四翎侯を併合して貴霜王國を建てたけれど、これは習慣上又は便宜上のことで、已に貴霜王國を大月氏と稱したのである。言はゞ「大月氏云」と明記してある通りである。後漢書の五翎

て、已に後漢書西域傳に、「諸國稱之皆曰:貴霜王。漢本以其故號」と同一であるから、安部の記録には之皆曰:貴霜王國を依然大月氏と稱したのである。言はゞ「大月氏云」と明記してある通りである。後漢書の五翎

要するに貴霜王を桑原博士の所論の要旨と断定すべき何等の確証もない。
以上は即ち貴霜王を桑原博士の所論の要旨と断定すべき何等の確証もない。

大月氏及び貴霜に就いて

五四三