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0590 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 590 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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五五二

ものと、's の字形を用ゐられたものと混ぜられて居るやうな有様であるので、確實に何れとも定め難いところから、慎重の態度を執つて、Küi とは兩様の讀み方を付し、's とはそれぞれ字形に從つての音を寫しながら、ミュラーはこの名をトルコ語の三種の奥書の中から見出した。その第一には「此の經を Küisan (Küisan) の語から Baroug の語に」ミュラー氏はトルコ語の奥書の義と説明して居る=に譯した」とあり、第二には「即ちトク・ラン」の語に譯し、第三には前記の如く「Küisan (Küisan)」の語=に譯した」とあり、第一と第三とはムルックから、第二はセンギムから出士した文書である。氏はこの新に知られた國名を「Küisa-m」即ち所謂ガンダーラ地方、カブール及びこの「Küisan (Küisan)」語などから譯出されたウイグル人の佛典が現存するところは、西藏語・漢語・トクハラ語及びこの「Küisan (Küisan)」語と見、また貴霜王國を月氏の第三の殿宇についてゐるミュラー氏の説明を見ると、Küisan (Küisan) 即ち貴霜の別名をトクハラ語に譯したと見るものとして、これは兎も角もとして、かく Küisan (Kü-isan) 等の名を貴霜と解釋する程度の説明を貴稿に讀むべき必要があると思ふが、それは兎も角もとして、かく Küisan (Küisan) 等の名を貴霜と解釋して、果して新疆出士のトルコ文書に見えるこの名を差支無く解釋し得るであらうか。ミュラー氏の解釋の當否を斷ずる前に、余は先づ上記の氏によつて紹介された三文書

以外に、別にこの名を有する同地方出士のトルコ文書を一種紹介しなければならぬ。その第一はツルファンから出士し、嘗て此の地方に在住した王樹柑氏の藏したもので、今現に我が京都帝國大學