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0600 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 600 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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敦煌の千佛洞について

(敦煌の千佛洞の由来に關する質問に應じて草した、短い一篇である)

珍らしい多くの佛教美術の資料と、萬を以て數ふる記録や古書の出現等で、今世紀の初め以來、頓に有名になつた敦煌=詳しく言へば支那の甘肅省安肅道敦煌縣城の東南、約我が四里許り=の千佛洞の事は、ずっと古くから書物にも記され、文人墨客の詩文の題材にもなつたもので、決して我が斯壇の發見のすさびふやうな事實では無いのである。が、乍角にあっさりとした抽象的記事に滿足しやうとする東方の學者の筆のすさびでは、また大に世人の注意を喚起するに足りなかつたのが、歐洲諸國の學界で斯派した斯道の學者の努力によつて、精巧な圖版や、綿密な解説が公けにせられ、人をして視しく之を目睹せしむるかの如き感あらしめて以來、られることに成つたものである。

此の佛洞の創始については、近頃その地方に於てはよくも知られないものと見いて、前涑道光年間に出來た敦煌縣志とか、光緒の末近くに成つた甘肅通志などには、皆その創始を不明として居る。即ち前者には、『千佛洞在城南四十里、不知創始何時』と記し、後者には、佛洞創始未詳、有斷碣云、唐年重修』と記し、別に武周の聖暦元年、(698 A. D.)に題てられた

五六三

と見えて居る。併し千佛洞には此等の書に謂ふ所の斷碣以外に、