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0602 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 602 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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五二四

れに關する消息は極めて明かである。それに依ると碑は一八二三年以來、即ち疑もなくトンガン族の叛亂の時に圍
繞されて、今日ではその上部が全く失はれてある。ペリオ氏はこの缺けた部分を發見しようとして、碑の位置附近
を搜査したけれども無效に了つたとのことである。(Une Bibliothèque médiévale retrouvée au Kansou, B. F.
E. O. 1908, P. 582)。氏がこの千佛洞の有名な書窟から賣した漢書の目録を見ると、その 2551 に道書の斷簡を
擧げ、裏面に「此の碑文が寫してあると記され、且つ此の碑は今日毀損されて居るが、嘗て徐松によって研
究せられたものだと記し、徐松が「鉱」として讀み得なかった文字をも、ペリオ氏はこれに依って補ふた
所多いとの旨も見えて居る。さてこの碑文の中には、「西域水道記に載せてある所によると、「忽見ふ金光」一
句が認められ

莫高窟者、厥初秦建元二年、大有沙門樂僔、戒行清虛、執心恬靜、嘗於衿脊廻側、夏即營建、行至此山、忽見ふ金光、
有千佛