National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0639 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 639 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

舊の部落の地方に關する記事の中で、大なる史趣を感ぜしむるものゝ一つは、石城鎭・新城・蒲桃城・薩毗城等
が背眞觀中に唐國人即ちソグド人の植民地であつたことである。匹にヴリオ氏の注意した通り、貿肚の道記中前に引用したところにも、石城鎭
とを知り得られることとなり、康豐典が鎭使たりしことは見えるけれども、他の二城郎
に康豐典が薩毗城には及ばず、またが何時の事であつたかも明らかにせられてゐなかつたものであるが、隋が廃
れて後、統制の及ぼなばなかつた時に當つて、かくソグドの人の植民地が此の地方に經營せられ、而してここに在つたことを知
に見えるやうに、武后の天授三年(601 A.D)に於てもなは同國人の族眦経が鎭督府圖としてゐることを知
り得えるのは、甚だ注意すべきことである。

三、伊州の條下、第36―37行に「貞觀四年百餘石城來降」とあるのは注意に値する記事である。隋の伊
吾郡が前の隱れた後期に役したことは、元和郡縣志にも舊唐書地理志にもそれ伊州の條に記され、前者には
「隋廃、又嘗群胡居萬」、後者には「隋末西域雜胡據之」と見え、またそれが唐に來附したことについても、前者には
に「貞觀四年胡等慕化内附、册府元龜卷九九は「貞觀四年慕化、置置伊州」と見えるけれども、首領石萬年の
名はどの書物にも記されてゐない。册府元龜後者に「貞觀四年慕化、置置伊州」と記し、通鑑唐紀石萬年の
この年「九月戊辰伊善城主入朝、隋末伊吾内屬、置伊吾郡、置伊吾都、顆利匿滅、擧其屬七城來降、因以其
地置西伊州」と最も詳密な記事を載せて居るけれども、なほその城主の名に及んでゐない。今この廃卷の記する所

唐光啓元年書寫沙州・伊州地志殘卷と最も詳密な記事を載せて居るけれども、なほその城主の名に及んでゐない。今この廃卷の記する所

六〇一