National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF   Japanese English
0640 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 640 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

六〇二

を見ると、この冊府元龜や通鑑の城主いふのが石萬年であったことは疑を容れない。かくこの城主が胡人で、而
してその姓が石氏であったからには、これを西域石國即ちタシュケントの人と見て殆んど謗無からうと思ふ。前項
にはロブノール南方地方に貢獻した鹵國の人が首領として臨戰したことを見たが、同じ時代にその東方の要地な
る伊吾即ち今の哈密方面に居つて鹵國人によつて治せられて居つたことを知り得るのは面白いことである。第45・48行
にかけて、この地に置かれた伊吾駱の風俗を記した中に、特に「商旅之人」あるのを言ひ、また「唯以多財爲貴」と
逃べてあるのも、かゝる事情を考へ適切な解釋を得ることが出来るであらう。

四 當時この伊州に居つた民族に關して、殘卷にはなほその第38行に「羌龍難虞」といひ、また第80行に「龍部
落本舊著人、今甘・肅・伊州各有首領、其人經銳、健闘戰、皆景皇化」といって居る。龍については余の知る限り従来あまり論識されなかったやうでチベット
人種と見ることに於て異論ないが、龍という名はこの地方に關する史籍や文書には屡現はれて来るのであって、例へば新五代史卷七十四、
る。併しながらこの名はこの地方に關する史籍や文書には屡現はれて来るのであって、例へば新五代史卷七十四、

四夷傳の回鶻の條には

又有別番騎龍家、其俗與回鶻小異

と見え、敦煌石室の遺書張氏動龍家には

と見え、河西節度、鶉雜番使田員宗の唐にもたびまで龍家という語を繰り返し、スタイン氏の同じ石室から得た成通九年