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0686 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 686 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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置いた。〔東洋學報第五巻第四十九頁〕続本の形になった佛典も西域考古圖譜問文佛典(3)に依つてその實例を示し
得るのみならず、スタイン氏の蒐集の中にも存する、されば若し氏の論ずる所にして支へらるゝならば、一に示す
内部的證明に據るものであるばならず、自分は伯林の蒐集品を見ないから強くは言ひ得ないが、氏の示す所を支え
では所謂同一書の他の斷片なる言葉に安じて従ひ得ない様にも思はれる。氏は同一人の書であるといふことを強
い根據にして、數個の斷片の同一書に屬することを主張して居るけれども、それ丈けの理由ではかゝる斷定は下し
難いかと思ふ。然も若し果して同一書に屬することが正確であるならば、これは佛教と二教の間に於ける深い關係を證明するも
のとして、極めて重要な研究と認めねばならぬ。

五 ソグド文化の東方に及ぼせる影響

厦門地方の歴書に日曜を稽するは難しいといふことが、一七八一年ドウグラス氏(C. Douglas)にたり
て Notes and queries on China and Japan 誌上に論ぜられ、その後ユーベ氏(Hüber)もまた福建地方の歴書
に同様の名が存することを述べ且つを解釋した(Bulletin de l'École Française d'Extrême-Orient, VI)。此間
この問題は多くの學者の注意を惹いたのであつたが、その答はパリ才氏(Wylie)の Un traité manichéen retrouvé en
China, J. A., 1913, Jan.-Fev. p. 162-165 及びウイリー氏(Wylie)の On the Knowledge
of a Weekly Sabbath in China なる論文を課して置く、ウイリー氏は一八七一年「乾隆四年編纂の欽定協紀辨方書に七曜の名を記し、之に日曜の名を

曜日の稱と記されてあることを示し、殊にまた乾隆四年編纂の欽定協紀辨方書に七曜の名を記し、之に日曜のさを