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『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ

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0689 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / 689 ページ(カラー画像)

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doi: 10.20676/00000267
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漢史には斯く漢代から西漸道程の史實に關連して買客とか商胡とかいふ文字が屡々見えて居る、今記憶して居る
所で古い時代のものは、後漢書西域傳に超勝を攻めた時に、龜茲の闘等の兵と外に買客千四百人を護したこと
が記されて居る如く、この文字を以て生業としたものが多く住んで居たものである、彼のサルトなる民族の名稱
が、併しソグド地方には古くより商業を以て此等の商人であるか、は固より知り得べきでない
も實に商人の意に外ならぬのであるから(東洋學報第五卷第二九七頁拙稿)同じく思ふ、スタイ
ン氏が羅布泊より敦煌に通ずる道の衞堡の廢墟から昆出したソグド語の文書は、ゴーチォ氏の研究によれば紀元
一世紀に作られたものと認められるのであるが、七世紀八世紀時代に商業上の目的でこの地方から發見
せられて居る(露女大正元年第十四號第十五頁参照)、勿論彼等の作も亦此の地方から發見
あつたから、その交通の間には文化の上に於ても種々の影響を之に及ぼして居るべきこと想像に餘りある、しかし
今は此の問題に入つて自説を述べる文ではない。

六 回鶻文化の東漸

支那側トルキスタン地方に回教の行はるゝに至つたのは、カラ汗家或はイレク汗家と稱し、多くの學者がウイグ
ル種と認め、少數の人はカルック種と認むる王朝の勢力に據るので、此の家の可汗の一人が、九六〇年頃に初め
てその部下を擧げて回教に歸依したのだといはれて居る、此のカラ汗家の都は初め今の露領サミレチニスク
軸近に於ける東洋史學の進歩
六五一