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0693 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 693 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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隋唐時代の文化

一 隋唐時代の大勢

後漢の滅亡以來、三百七十餘年の永きに亙って分裂狀態に陷っていた中國も、六世紀の末に北朝の系統を引く隋の女帝(五八一―六〇四年)が南朝劉の頃を滅ぼすに及んで再び統一されることになった。文帝は樸實な北朝側の制に則って中央集權的國家體制の整備に努めたが、業半ばでその子煬王廣のために暗殺された(五八九年)。廣は有名な煬帝(ウダイ、六〇五―一七年)である。性豪奢を好み、自ら漢の武帝に比した彼は、長安・洛陽二都の經營、長城の修築等、盛んに大土木工事を興したが、中でも、江南の官吏登用制度と相並んで、その統一事業中、最も重要なものであったと言ってよい。

は、彼が門閥勢力を目的として創始した、かの科學の大運河の開鑿、

かくて國内の統一を固める一方、煬帝はまた盛んに對外發展を企て、即ち六世紀の中葉以來、東は興奴族から西は中央アジアのアム河流域におよぶ空前の大遊牧帝國を建設して、最も恐るべき中國の強敵であったルコ族の突厥(トッケツ)が、東西に分裂する兆候を示したのに乗じ、これを難間したのを始めとして、西方では吐青海から タリーム盆地の東南部に進出していたチベット系の吐谷渾(トヨクコン)を伐って、西域の門戸を開き、南方では

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