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0697 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 697 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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板蕩が起り、やがてこれに呼應した黄巣(コウソウ)の賊のために、先ず江淮が蹂躙され、次いで廣州も陷つて(八七八年)、十二萬と稱される龐多の在留外人が殺戮され、ために南海貿易も一時杜絶するような狀態に立到ると、唐王朝もいよいよ滅亡せざるを得なくなったのである(九〇二年)。

二 隋唐文化の統一性

隋唐文化の第一の特色は、時代の大勢からも察しられるように、兩漢以來變多の紆餘曲折を經、複雜な變遷を重ねて來た中國の文化、殊に南北朝以來は江南・江北に分れて、殆んど別々の發展過程を辿って來た中國の文化を統一し、集大成したところに在る。即ち、本來北朝の系統を引く隋唐の兩王朝では、國家主義的な愛が強く、この點において確かに、より有力であった北朝系統を宗備したのである。しかしこれを南朝文化に比して、傳統の北朝系統を脱し切れなかった北朝文化は、一般に進歩的であり、より自由な發達を遂げた南朝文化のそれが主流となるを得なかったのである。どうしても遮色のあることを免れなかったから、學問や藝術の分野では、自ら南朝のそれが主流となるを得なかったのである。

經學 何えば經學、即ち儒教の學問についてこれを考えてみるならば、漢唐間に經學は文獻學的研究を主とする、いわゆる訓詁學(くんこがく)で、師弟もしくは父子相傳を原則とし、「疏は注を疏らず」と云うことばから師說を變じて新說を立てることなどは、當時一般には思いもよらず、兩漢の經學を統一した

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