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0698 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 698 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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六六〇

後漢末の大儒鄭玄(ジョウゲン)の説が殆んど絶対的な権威をもっていた、しかも時代の変遷とともに、自ら異説の現われることを避け得なかったばかりでなく、経の本文にさえ異同を生じるようになり、截然たる区別が見られたのであ
の現われることを避け得なかったばかりでなく、経の本文にさえ異同を生じるようになり、截然たる区別が見られたのであ
った。簡單に言えば、南學・北學の間には所依の経文においても、その注釈においても、主として老莊思想の

北朝時代には、南方では始んど純然たる学であったのに反して、南方では魏晋以後、主として老莊思想の
立場から、鄭説に反対を唱えた王肅(ヲウシュク)や王弼(ヲウヒツ)などの説が重んじられていたのである。
かくて隋の統一に命じて経女の統一を、北方の学者で南學を兼修するような者に勧めも次第にできて来るが、やがて唐の太宗が
顔師古(ガンシコ)に命じて経女の統一を、両漢以来の経學の発達は、ここに二應成を告げるに及んで、遂
に南北両學の統一が成り、両漢以来の経學の発達は、ここに二應成を告げるに及んで、遂
経の宗本を作るに方った。殆んどわれ南學の説であり、結局如何なる基礎の上に、南北両學の統一が行われたかを物語る
顔達を抑えて南學を採用したのは、殆んどわれ南學の説であり、結局如何なる基礎の上に、南北両學の統一が行われたかを物語る
ものに外ならない。

当初必ずしも學界の全面的な賛成を得なかったにも拘らず、欽定の経文とその注釈とは、官學の教課や科學の官
史登用試験を専らとしめた結果、比較的容易に経學の統一という所期の目的を達することはできたが、
その反面、學界の沈滞を招くに至ったことは否定し難い。一方、文學の流行に壓倒され、科業試験において、もっと唐王朝が、安
學を中心とする明経科は嫌れて、偏り文學を中心とする進士科のみが栄えることになった。