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0699 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 699 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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史の觉を界として、漸く衰頽期に入った、いわゆる中唐頃とも云えば、欽定の経義に対して公然異見を唱えるよう
な者も現われれば、韓愈(退之)やその弟子李翺(リョウ)のように、訓詁學そのものに反對する者も出て
来て、學風の変化を認めることができる。未だ大勢を動かすにまでには至らなかったというのが正確であるが、魏晋以来漸くその性格を阻し、
 文學 文學の変化は、反動的に、内容よりも形式、精神よりも技巧を重んじ、いわゆる修辭主義文學は、
その後駢文(べんぶん)は、後漢の頃に萌芽し、魏晋の頃愈々盛んとなり、南朝の齊・梁の間に至って、遂にそ
の體が定まったが、これは中國文學における風靡の代表的な夢想にと言ってよい。
この浮華な南朝の作風は、これを改めようとする努力にあった。隋の女帝は、北朝の質樸な好尚によっ
て、一時はこれを改めようとさえ計ったが、やがて北方を通じて全くその效はなかった。修辭主義文學の盛行と、初唐における駢文の盛行と、
の唐代に反んだのであった。殆んど唐一代を通じて変化のなかった駢文の盛行と、傳えられる。
立は、これを物語っているのであろう。
 もっとも修辭主義文學の行きづまりから、初唐以後漸く古詩・古文への復歸思想が起り、盛唐・中唐の頃には
れが主潮となって、古今に冠絶する唐文學の欄熟期を出現した。杜甫(子美)・李白(太白)によって代表される
詩、韓愈・柳宗元(子厚)が、この頃に至って始めて成ったことを示していると言っても差支えあるまい。しかも
した南方文學との値の統一が、この頃に至って始めて成ったことを示していると言っても差支えあるまい。しかも
晩唐時代には再び修辭主義文學に墮し、以て宋初に及んだのである。

六六一