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0703 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 703 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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てインド人、それも殆んど常にインドの天文・矩陣羅(Kumāra)・迦葉(Kāśyapa)三家のインド人であったし、唐代に
おける度々の改暦も殆んど常にインドの九執(囉)の如きは唐代は勿論、それ以後も永く
頃、瞿曇悉達(Gautama Siddhārtha)が翻訳したインドの九執、一方、広く民間にも行われたのであった。
朝廷の参考に供された。一方、広く民間にも行われたのであって、
とところが九執暦が、一體何故このように広く民間にも行われるに至ったのかと言えば、それは九執暦の名か
らしても察せられるように、多分に古星術を交えたものであったからであると考えられる。八世紀の末頃、インド
(西天)から傳来(すくよう)経のように専ら占星術について述べたものが見出される。この経典には当時古星術
佛典の中にも宿曜(すくよう)経のように専ら占星術について述べたものが見出され、七曜日の名称については、当時古星術
がインドばかりでなく、広く西方諸国で信仰されていたことを述べ、それぞれ胡名・波
斯名・梵名を掲げているが、唐代及びその以後に行われた具注暦;またそれを受け入れて行った我が王朝時代の具
注暦に見える七曜の名称が、そこに記されてある胡名即ちソグド語のそれを傳えたものであることは、今世紀初頭
以後盛んに行われた各国の中央アジア探検の結果として始めて明かにされたことで、西域文化の東流に関する注意
すべき事柄である。

宗教 隋唐時代に最も隆盛を極めた外来宗教としては、もとより佛教を挙げなければならない。北魏の太武帝・
北周の武帝の相次ぐ弾圧によって一時衰微を極めた佛教も、隋の建国とともに急速にその勢力を回復し、唐代には
玄奘・義淨らが入竺して求法した一方、インド、西域の高僧の傳法したものも多く、遂に中国佛教として大成の域

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