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0704 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 704 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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に達せしめたのである。即ち三論宗は隋の吉蔵に至って成就し、杜順の華厳宗、智顗(子ガイ)の天台宗もまた隋代に起ったが、唐代に入ると玄奘の法相(ほつそう)宗、道宣の律宗、金剛智・不空(いずれもインド人)等の真言宗が相次いで成立した。このはか達磨に依って伝えられたという禅宗は唐の慧能(ニノウ)によって盛んになり、浄土宗の道綽、その弟子善導に至って隆盛を極めた。殊に禅・浄土の二宗は、最も中国化された仏教として、その他の唐の諸宗派が衰えた後も対遮を持続して来たのである。
 仏教の影響を受けて起り、朝廷の特別の保護も加わって、あらゆる点でこれに匹敵する民族的大宗教として完成を告げ、両者相並んで上下に信仰されるに至ったのであった。
 これら仏道三教の隆盛にある程度の流行を見たとしても、宗教もまた中国に伝来して以来久及ぶほどなく、俗の流行の著しかった隋唐時代には、寺院を総稱して三夷赤と呼んだ。祆(てん)・教・摩尼(まに)・教・景教の三者はそれぞれ固有の信仰である。景教はサッサン朝ペルシアの国教であったゾロアスター教・祆(てん)・拝火教のことである。このイラーン固有の信仰がソグド遷りから中国に伝わったのは五世紀の半ば頃から六世紀にかけて、即ち北魏・北周・北斉の時代のことであったが、当時は胡天神とか火神・天神とか称しただけで、未だ祆神・祆教から呼ばなかった。祆はこの教が漸く中国で広まり出した唐初になって、示と天とを組合せて新たに作られた文字に過ぎない、いずれも薩保もしくは薩保という特殊の官を置き、唐代に国内の信者を取締るために確用もしくは薩保と

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隋代に国内の信者を取締るために確用もしくは薩保という特殊の官を置き、唐代に及んでも同様であったことは、