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0734 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 734 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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危殆度不可態、亦移居外館棟房、元ちとも見える、乍も角或る程度で燕京に於ても棟房の用ゐられたことは疑
無い、葉子奇の草木子趣制篇に、「元君立、別設一棟房、名曰昇栄……新君立、復自作簷耳栄」と見えて
居る、これは元君といふものゝ、東洋史趣所蔵、支那人繃髪の歴史大参照、元代漢人が薙髪して居
たことに就いて供博士にされたが、その証言は東洋史趣所蔵、支那人繃髪の歴史大参照に就いて

⑳ 此の証言は客服博士にされたが、その証言は東洋史趣所蔵、支那人繃髪の歴史大参照に就いて
たことの二十二史刺記巻三十、「元朝百官胡服之長」の中に、「然中葉以後漢人の初葉にある居
稽覧、平章政治・左右丞・参知政事に任ぜられたものもあつたが、「箭内博士も、「元中葉以後漢人にして法爵に官たりしものを見る能はず」といひ、中葉以後漢人と同等の待遇を受けしが、……其の後遂く排斥せら
週が政治・満くなつたことを述べてゐる、また「両人は世祖の時に略ぼ漢人と同等の待遇を受けしが、……其の後遂く排斥せら
れ」しことを論証し、(同四七一頁、四八八頁)

⑳ Pelliot, Les inscriptions de Tui Chiu-fong, A. 1913, Juillet-Aout, 参照。
狩野博士の「元曲の由来に関する沿革符を初め明らかな唱へた、(支那学文藝所収中に、参照
説「即博士元代科挙に加へた日月の桔梗府、(支那学文藝所収)これを以て常代漢人の唱へた、また
黒姓の歴史及びは学民を煽た隠患志外情傳の人物等の、「結果であるとを論ぜられてゐる、時にはなか
つた、一般に見える元代社会の別事象として重視した箇内博士から、当代然然として独立いたものをとらへ
て居つたものでないし、漢民は常に支配に反対した、当代の漢人が激しく心中不
は、必ずしも此の時代に限らず、常に支配に従ひながらも心中不平を蔵するなく、また藩夷の別を重んじなかつたとも認められる事象であるが、苟くも有能の士であり、藩夷の時代に直んじて心中不
平を蔵するなく、また藩夷の別を重んじなかつたとも認められる事象であるが、苟くも有能の士であり、藩夷の時代に直んじて心中不
ずしこれを評するに難くはない、しかし今はこの態について顔及したい、(※野教授遼朝遺制と支那学確認、昭和二年三月)