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0743 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 743 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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味を失ふことになつてしまふ、であるからこの固有の風俗を決して改めてはいけないといふのであつて、態度もさ
うい ふ詔を出して、支那の文化にふれないやうにと力めて居る。太宗が亡くなつた後に立ちました太宗顧治
帝、これは大變年が少なかつた、その時に睿親王といふ太宗の弟が攝政をしまして、明の亡んだ後を承けて次の王朝を
支那に立てたのでありますが、この人がやかましい法令を出して満洲の風俗を漢人の上に及ぼした、かの辮髪令を
出して、支那の人皆辮髪せしめたのはこの時であります。

五

斯ういふやうなわけで、大體北方民族が支那に君臨すると成るべく支那の文化には心酔しないやうにといふこと
を力めて居つたのでありますが、それにも拘はらず支那文化に感化さ
れるといふことになつてしまつた。斯ういふことはよく御承知の次第で、實は申上げる必要は無かつたのかも知れ
ないが顧序として極めて大略を述べた次第である。
所で多くの學者の説を見ますと、支那文明といふものは非常に根柢の深く固いものである。支那人は非常な保守
主義である。この根柢の深いといふ風の解釋して居る人が多い日本は依つて一應尤も述べも遠べようとするのであり
いふ風にのみ考へて居るときではなからうと思ひます。尤も私はその事に付て今迄に述べようとするのであり
まして、委しく申上げることは避けますが、所謂漢文明といふものは左程根柢の固いもの、一言に換へれば古い時代

七〇五