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0746 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 746 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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したといふことを書いたものの中に出遇ふことが少くない、例へば元の初めの世祖が儒學を尊重したといふことは普通
に傳へられて居ることであるが、併ながらそれは何處まで彼らにしたものやら、或は表面だけであつたかも知れぬと私
は考へる、支那を治めることで行くことであるは出来ない、世祖に任じた有名な儒者の許衡といふ人がある、この人が
を否定するや支那の奏上とは出来ない、それは出来ないことは出来ないことは出来ない、世祖に任じた有名な儒者の許衡といふ人がある、この人が
世祖に奉つた五那の法に従ってはならないといふ方法を執行している、若し支那の土地を治めることは有益漢法に従へ
てある、若し支那の法に従ってはならないといふ方法を執行している、若し支那の土地を牧場にして、当時紫古の人達が主張したやうな説、そうして儒學を尊崇する事実、部分
ふとい方針を執って居る、漢人は何等蒙古の爲に役立しさうにはのであるが、支那の土地を牧場にして、当時紫古の人達が主張したやうな説、そうして儒學も出来ない、世祖が
の土地は牧場にされたことはあつたのであるが、そんな方針を持っていは到底漢地を治める政策の上から来た所であり、儒者が
かる土地説には隨はなくて、漢法に随って行く方針はこれを尊崇し、一部分若くは大部分支那を治める政策の上から来た所であるならば
も重んじたとして知られて居る、併ながらこれは一部分若くは大部分支那を治める政策の上から来た所であるならば
という風に考へられる。若し貴支那の女明を尊崇し、支那の女明を取入る、慶語を持って居った人であるならば
清朝の康熙、乾隆の諸帝に於ける如くでないにしても、今少し貴支那の書物は無論読めず、その内容を知る場合に依頼的に考へられなれ
ばならぬ。世祖といふ天子は支那の書物は無論読めず、その内容を知る場合に依頼的に考へられなれ
世祖のみならず、元の天子で漢文を読めた者は一人もない、支那に書隠して居りながらすべて漢字で書いた所の書物は読
めなかった、天子のみならず宰相でも漢文の読めた者は一人もないといふ人は多くはなかった、その事は清朝の超翼といふ學者は読