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0747 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 747 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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が、元の天子や大臣が漢次に通じなかったということを二十一史剳記という書物の中に述べて居るが、そこに驅げた以外にも幾らも例を挙げることが吾来る、例へば塞と金と宋、この三代の歴史を元の朝廷で作って居る、当時之を三史と稱したものである、この三史の中、先づ一番初めに遼史が出来上ったので、それを時の天子順帝に上つる時に宗にな った、この時脱脱といふ人が宰相で、遼史編纂の總裁官であった、そこで編纂に従事した人が、この總裁たる脱脱に向って「あなたが三史の總裁官として天子に奉るといふやうなことは自分の側に考えはするが、儀式を修めてあなたから天子に貰ひたい」と請ふ
ではない、そこで編纂官常に相談をして、脱脱は更に角角当帝としての三史に関を書ふ人だからそれに附けこん譯である、「さうとしては驚かそうといふの
である、実際は更に相談をして、脱脱は更に角角当帝として三史に関を書ふ人だからそれに附けこん譯である、「さうとしては驚かそうといふの次第
で「遼史に總裁官としてあなたの名を書いて辟けばあなたの面目は永久に僕はって評で喜んで上奏の儀を挙けたということである」と聞いた所
が「さういふものか、それは早速やらう」といふ譯で喜んで上奏の儀を挙けたということである

七

その後に金史、宋史も同じ順帝の時に出来上ったが、この時には阿魯圖といふ人が宰相であった、これは蒙古で年に出来上ったのであるが、それが額三史事といふ名義上奏にどういふことを貫って居るかといふと「さら態これが至正五有名な家柄の人であるが、これが額三史事といふ名義上奏にどういふことを貫って居るかといふと「さら態これが至正五年に出来上ったのであるが、それを天子に奏する上奏にどういふことを貫って居るかといふと「さら態これが至正五

せぬ、この中に書いてあること「且吾分は漢文は讀めませぬ、この中に書いてあること「且吾分は漢文は讀めまた」との意味は分らない、併ながら何出来上ったのであるから、「これを天子に奉る」と

七〇九