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0773 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 773 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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と異なるところな程度に化成されたものであって、文化の關係から見れば、実は貂士の、部族と漢人の支配と大して相違はなか
ったのである。しかるに長い間に亙るから史上の常例を破って、漢士の、自からその統治に任ず
先蹤を負したが契丹種族の邊である。内外蒙古から滿洲に亙る貂士の、外に、漢士燕・前の十六州を後管から収
め、漢人の知識を採用にしても自から有様と比較して考べると、彼等はこれを絡し、文字としての奨作を始めて、獨自
の契丹文化を發達せしめた(漢人を従来の獨立的立場を創造したものと見なしたもの)と追腹したも
たもので漢文化に化成せずして漢人を治する西夏の金族の立腹である。
のが當項族の西夏であり、女貂族の金族である。西夏は河西地方の小地域に鯖居して、左程大勢力には達しなかった
が、金は遼を倒してその領土を奪った上に、更に宋を南に驅逐して淮水以北の地は滿蒙と共にその
支配の下に置かれることになった。そして金もまた遼以上にその民族文化の發展保存に力を用ひ、漢文化
の外に立って漢人を支配することに努力した。たとへその努力にも係らず、彼等の漢文化に同化せられる勢は滔々
として防ぐ可らざるものがあったにせよ、彼等がその國勢の發展と文化の獨立とに意を用ひたのは、前の契丹族の
遼と同じく、漢士を安阻しながら深く民族的自覚を有してゐるためのものであることを認めなければならぬ。

宋の文治主義と北族の侵入

さて武人跋扈の宿弊を除くことに専念した宋の太祖が逸早く節度使を廢し、兵制を改革したのは、誠に當を得た
處置と思はれるが、一利一害は數の免れぬところで、これが育に兵備が薄弱となり、北族の侵入を容易らしめた

七三五