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0782 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 782 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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方針とした。
 堂々と蒙古名を称へ、却って漢人が漢名を棄てて蒙古語名を称するものが少からぬ有様であった。
して、稀奇怪な漢女の體が行はれ、普通にこれを俗語體と称するが、實はこれは本来蒙古語で書かれた交脈
を、そのままに当時の俗語女で直譯したが鳥に起つた交體であって、漢文が自然的にかゝる體に発達したのではない
のである。従ってこれは蒙古女の勢が漢女に影響を及ぼして発達せしめた特例であって、支那文化史の上における
注意すべき現象と見なければならぬ。
 風俗に加きも蒙古族が漢化せられぬ。この時代において漢人が蒙古化されたことが多かった。今一々その
例証を擧げることを避けて、ここは元の風俗に新たに漢人の朝を建てた明の太祖が、その即位の洪武元年二月に
証を下して、天下の世祖のあらかじめと言い前の実録の記事によって、その大概を知ることにしたい。その大意に
よると、初め元の胡俗を知る、表服も男女共にして窄袖となり、中國衣冠の舊風を失ひ、甚しき
底は胡髪椎髻し、深い帽の胡帽を着け、衣服も悪く蒙古の俗を怪しまない。
 はその姓氏を棄へて蒙古名を用ひ、蒙古語を習って居った。風俗の変化既に久しくして誰も復これを怪しまない。
大祖はこれを脈ふるために、ここに至って悪く衣冠の舊風を改易し、士
太祖胡服胡語胡姓等を一切禁止した。そこで百年餘りの胡俗を悪く中國の善俗に復することになったというふのであ
る。
 椎髻胡服胡語胡姓等を一切禁止した。そこで百年餘りの胡俗を悪く中國の善俗に復することになったというふのであ
る。
 かる有様であったから、元代においては支那の學術文藝は、"蒙古族の下に壓迫されてゐた漢族の間に、公けの

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