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0808 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 808 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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その次第を略述いたしますると、御承知のように、わが國では古くは主として朝鮮牛島にあった三韓―馬韓・弁韓・辰韓―との間に交通關係がありました。これは主として海流の關係によるもので、今日でも朝鮮の西海岸から九州に流れる潮流に交通關係がありますが、古い時代からこの潮流に乗って、日本と三韓との間に交通ができるようになり、遂に思われます。その後、朝鮮では高麗、新羅、百濟が三韓に代り、この三國が日本と三韓との間に交通するようになり、日本の記録によりますと、神功皇后の征韓とどの時代にどの程度の交渉關係が伴も政治的關係をもつようになりました。卽ち、日本の記録には到然とした記事は見えず、或る程度の交渉關係がに交渉があったかは、どうもはっきりいたしません。それにしても、朝鮮と日本との間に、起っていたことは争われないところであります。

当時の朝鮮の狀態を支配して、樂浪等の四郡をおきました。その漢民族の文化が、樂浪は今日の平壌一帯の地域で、この樂浪を中心として―朝鮮の北部の地域を支配して、西洋紀元前二世紀から一世紀にかけて、支那の漢が―これは前漢でありますが―高い文化が北部の朝鮮に及んで、しだいに、樂浪等の學問が日本にも傳わり、飛鳥時代を俟たなす。それで應神天皇以来、漢字、その他いろいろの支那の文化の発達をはかり、いわゆる遣隋使の派遣をいわ、公けに彼我の間に直接に

あります。これは推古天皇の十五年(六〇七年)に、小野妹子を隋に使として派遣され、いわゆる遣隋使の派遣をいわ、公けに彼我の間に直接に
この朝鮮を通じてわが國の文化が、飛鳥的に発達するする契機となったのは、いわゆる遣隋使の派遣をいわ、公けに彼我の間に直接に
いて、佛教を通じて育成されたわが國の文化が、飛鳥的に発達するする契機となったのは、いわゆる遣隋使の派遣をいわ、公けに彼我の間に直接に
開かれることになった有名な事件でありまして、これから後は、従来のように朝鮮を媒介としてではなく、直接に