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0809 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 809 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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大陸文化との交渉接觸がはじまったのであります。そこで従来徐々に發達したわが國の文化は、その影響によって
飛躍的に進歩し、いわゆる飛鳥時代の文化を現出するに至ったのであります。
 一度隋との直接の交渉が起りましてから、その氣運は引續き愈々盛んになってまいりまして、翌年の推古天皇
の十六年には妹子が隋に使し、その歸る時には、裴世淸が隋からの使として同伴して日本にやってまいりまし
た。その後、日本から使を出せば、隋からも使を返すと、いうことを繰りかえし、両者の間の國交は、極めてこや
かに行われてきました。ところが、その後十年ばかりして、遣唐使とか、留學生とかいうものを出して、唐の文化の導入に努めたので、隋
との國際關係をそのまま唐に及ぼし、遣唐使とか、留學生とかいうものを出して、唐の文化の導入に努めたので
ります。
 つづいて奈良朝前に入りますが、この奈良朝でもっとも盛んな時代が、飛鳥奈良の両時代を通じて、唐においても
最も華やかな玄宗皇帝の時代に当っております。かく唐・隋時代の絢爛たる文化が、飛鳥奈良の両時代を通じて、唐においても
沿々として日本の國に流入し、日本の文化開發の役を果してくれたので、日本文化は従前に較べて飛躍的に進歩
し、割期的な發達を遂げたのであります。この經過から考えたものでも、ある民族の文化の發達は、その階梯と
して異民族の文化との接觸に伴ってというと、鐵則は、みごとに證明されたものと認められるのであります。
 然し、廣く世界史を考えてみますと、ある民族が異種類の文化を受容されるには、その受容れ方に、いろいろ
な相異があって、必ずしも同一ではないのであります。みごとに證明されたものと認められる方に、いろいろ
な相異があって、必ずしも同一ではないのであります。或は全面的に受容れたと認められるものもあれ
ば、或は部分的に取りいれて、自己の固有文化の發展に貢したと認められるものもあります。これは要するに、彼

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