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0810 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 810 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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七七二

我の文化程度の相異と、受容れ側の國民性とによつてちがつてくると思われます。一般的に言いますず、彼我の間に格段の相異のある時には、文句なしに全面的に受容れる場合が多いのでありますが、しかも國民性の強いものや、獨創性の勝れた民族にあつては、そのままには受容れないで、受容れるべきものだけを取る。飛鳥奈良時代の文化の受容れ方はどんな有様であつたか、その評に資するのが常であります。それでは、飛鳥奈良時代のそれぞれの部門の方にゆずり、私はほんの總括的前肢的に私見をのべる綱についてはは、今後續いて講演される筈のそれぞれの部門の方にゆずり、私はほんの總括的前肢的に私見をのべる
に止めておきたいと思います。
 飛鳥・奈良兩時代の文化現象をひくめて言つてみますと、飛鳥時代の文化の骨組になるものは、㈠佛教の興隆、それに伴う美術工藝を始めとする一般文化の發達―佛教を中心とする文化の發達―と、もう一つは、㈡律令すなわち法律政令を制定して、中央集機の國家をつくつて行く、この二つが飛鳥時代の文化の骨子であると考えられます。それから、或る程度の成果を得た時代と見ることが出来ると思います。次に少しく詳かにその次第を説明して見ましょう。
 私は、飛鳥時代においては、佛教が一つの文化の中心になつたと申しましたが、その佛教は、改めて申し上げるまでもなく、既に飛鳥時代以前に入つておりまして、祀録によりますと、欽明天皇の朝には、司馬達等が佛教を将来し、ついで百濟から佛像や経論を傳え、それを容れるか容れないかについて、有名な蘇我・物部兩家の大軋轢がありました。それから飛鳥時代に入ると、聖徳太子によつて佛教隆昌の根基が固められ、遂に推