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0815 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 815 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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傲に外なくなったのと並行する現象でありまして、もとより當然のことであります。ただ、問題はかように輸人
され模倣されたものが、いつまでも同じ調子に模倣の態度を續けるか、もしくはこの模倣したものを土臺として、
獨目の發達を遂げるか否かの點にあるのでありまして、それによって民族の文化性が定まる次第であります。
 さて、かかる調子で飛鳥時代百餘年の間、隋・唐との接觸によってわが國に流入した大陸文化は、初期に於ては
輸入の形そのものに、大陸文化の上層僅少の範圍に局限されて行われたのが、時の經過につれてその上に漸次廣大さ
情操が加えられ、大陸文化を基調として或る程度に獨自の形を發達させ、その行われる範圍もます〳〵廣大さんに至らしめられ、のが奈良朝の文化相であります。いうまでもなく奈良朝においても、唐の文化の導入はます〳〵盛ん
になりまして、「元正天皇の養老元年(七一七年)から、光仁天皇の寶龜八年(七七七年)に至る約六十年間に、四
回に及んで遣唐使の派遣に當っては、大概兵、六百人の同行が隨伴したと思われ、その中に多數の留學生が出されております。この遣唐使の派遣に常っては、大概兵、六百人の同行が隨伴したと思わ
れ、その中に多數の留學生が出されておりますが、これらの留學生達は、入唐して問もなく歸るものも
のは少く、大概數年、長いものは二十年、逢には歸らなかった人もあります。例えば、阿部仲麻呂は彼地で亡くな
り、吉備眞備とか數名の者は、特に十數年、或いは二十年餘りも留った人もあったのであります。このれも、唐のすぐれた文化を身につけて歸り、またその書籍や美術工藝品なども一段と盛んで數多く齎来いたしましたのであります。こ
の筋からだけでも、奈良朝における唐の文化の勢は、唐一代の中でも最もすぐれた開元・天寶時代のそれで、誠に絢爛の美を極めたものであ
特にその頃の唐の文化は、唐一代の中でも最もすぐれた開元・天寶時代のそれで、誠に絢爛の美を極めたものであ
りましたが、それがそのまま日本にもたらされたのであります。とこで、奈良朝時代においては、わが國の文化

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