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0816 羽田博士史学論文集 : vol.1
羽田博士史学論文集 : vol.1 / Page 816 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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も前述のように飛鳥時代におけるよりも大いに進歩しており、従って唐文化の受容態勢も、或る程度これを批判し
て受容れ、これさらに潤色を施し、より大きな日本的な文化にし得るような状態にあったと見てよかろうと思うのであり
ますが、それにもかかわらず、当時の彼我の文化の程度は、なおよほど懸け離していたから、当然の勢として、ま

ずその模倣追隨が行われたのであります。

今その模倣追隨の實例を挙げてみますと、第一に奈良の都の作り方は、唐のそれを模倣したものであることは御承知
の通りであります。奈良以前には、郡の地は定まっておらず、奈良、難波、大阪、大津方面と轉々として移って
おりました。それがともかく七代の間、条坊の區劃誠に整然たるものに、これは全く唐の長安の形をそのままうつしたものに
を賞中にして、外ならないのであります。大に教育、學校の制度についてみますと、聖武天皇の時に國學制度が定められ、學科に大
學を置きなないのであります。都にいる或る位以上のものの子弟は大學で、各家に孝経を一本ずつ備えて精讀する
は、論語、孝子、周易、書経、春秋左傳等が教えられ、孝謙天皇の時には、各那の文章を作る諸古をするいわゆ
るように勸められたような文章道がありました。また、上述の經書き傳人の間とは別に、有名な栗田馬養、阿倍仲麻呂、吉備真備、淡海三船
などが出でて、巧みな漢詩文を作り、立派な文章を輩出しました。その詩文を収録した本書まで印刷術の如き少なからが行われることになりま
す文章道がありまして、立派な文章を輩出しました。以上は、唐の學問、教育制
度が日本に模倣されて行われた例證でありますが、これに伴って印刷術の如き少なからが行われることになりま
した。現在法隆寺には、稱德天皇の時に供養のために作られた百萬塔―三重の小塔―が残っておりますが、その塔

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