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0368 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 368 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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三〇八

無いやうに思はれる爲である。それではこの問題をどう解決してよいか。思ふに兩卷は共に敦煌の出土であり、宜
元至本經の名は、眷經の中にも明記せられてあり、さうすれば眷竟疑念は矢張り讖語の上に懸けられたこれらの兩卷が、敦煌の佛洞
し得るものでなく、そのことは明らかである。さうすれば眷竟疑念は矢張り讖語の上に懸けられたこれらの兩卷が、敦煌の佛洞
ふ名のものが行はれることになった天寶四載後に、大秦景教典として行は傳寫の上懸けられたこれらの兩卷が、敦煌の佛洞と作
から發見せられた後の或る時に於て、景教史に深くも通じない何人かによつて、巧みに殘經の學體に似せて卷末に
附記せられたのではなからうか。然しながら由來景教關係の文獻に於て、景教碑の儕作の景教碑文や、またその後の
る真觀十二年の詔のやうに、それが初めて知られた當時に、景教碑の儕作の景教碑文や、またその後の
つれて、さうした疑の一掃せられた例もあることであり、この識論の儕作の儕作についても、将来なほ精細な研究の進むに
ること、思ふ。今後學者の一掃せられた例もあることであり、この識論の儕作の儕作についても、将来なほ精細な研究を要す
である。