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0562 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 562 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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まで回鶻可汗の位に在った人の墓碑で、やはり突厥文字以て記されて居る。若し漢北時代の回鶻人の間に回鶻字
が存在して居ったたらば、勿論彼等の間に作製せられ、使用せられては居なかったものと見ざるを得ない。然るに、たゞ突厥文字のみが用ひられ
て居るのを見れば、いまだ彼等の間に作製せられ、使用せられては居なかったものと見ざるを得ない。然るに回鶻文字に回鶻
が成通七年(868)、京高昌を取って其處に據ってから後は、何時からの事かは判然と定め難いが所謂回鶻文字を使
用して佛典も書き亦摩尼経典も書き、また日用文書にも之を用ひたものであることは、更めていふまでもない事で
ある。茲典九世紀の後半以後の事で、回鶻人が回鶻文字を使用することも成就の結論は、回鶻人が回鶻文字を使用するに至った時代には、従来此の地方に行はれた突厥文字を用ひたに外なら
ぬと見るべきことゝ之である。

 即ち九世紀の後半以後の事で、茲典も自然に導かれる結論は、回鶻人が回鶻文字を使用するに至った
時代、漠北に在った時代には、従来此の地方に行はれた突厥文字を用ひたに外なら
ぬと見るべきことゝ之である。

 かく論じて来ると、〔回鶻字といふ名から、假に回鶻人が之を製作したと考へこ〕。しかしながら之を製作したものと見ねば
ならぬことになる。(所謂回鶻文字なるものは九世紀八世紀以後に、高昌地方で回鶻人が作り出したものと見ねば
かく論じて来ると、〔回鶻字といふ名から〕、假に回鶻人が之を製作したと考へこ)。しかしながら此の文字
が認め得られぬことになる。そして此の文字
でありながら回鶻佛典と稱せられ、別に此の文字が九世紀八世紀以前に高昌附近の地に行はれた證據がないかを尋ね
て見なければならぬ。言ひ換ゆれば回鶻人は高昌に来て、彼に此の附近に行はれて居た文字を習って使用するに至
ここで昔々は如かる佛典を離れて、別に此の文字が九世紀八世紀以前に高昌附近の地に行はれた證據がないかを尋ね
て見なければならぬ。言ひ換ゆれば回鶻人は高昌に来て、彼に此の附近に行はれて居た文字を習って使用するに至
つたものでないかを尋ねて見なければならぬ。

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