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0563 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 563 (Grayscale High Resolution Image)

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doi: 10.20676/00000267
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く、ラドロフ氏は「回鶻文字が何時頃来たかについては證據の存するものは無い。けれども吐魯番の蒐輯物が示す如
た貨幣に安邦鳳の銅貨があつて、其の一面には回鶻文字で、スカッシュガルでラヴロフ(Lavrov)氏の購ふ
く、八世紀の後半に於て既に貨幣用の文字として使用せられて居る。又カン・即ち Kagan、即ち Kagan des Türgesh
Kagan と記してある。それで此の貨幣は明に八世紀の初年に鑄造されたもの、これまた常暦東トルキスタン
の北方で此の文字が公用文字として用ひられたるを示すものである」と述べた、叱れまた回鶻文字を記せる東突
の日附を有するもの、有無しは知識ではあるが「Türgish」と称し、自分の知識では保證しかねるが
であつて、これは彼にミュラー氏も一九一一年に解説した。博物館所蔵のものについては明治四十五年初めて京都で回鶻
の貨幣を見、其の後露西亜ペテログラードのエルミタージュ博物館所蔵のものについて模型を作り、夏に近頃両種
のもの三四を見たが、文字は全く回鶻文字と稱せらるゝものである。銭文一部の読み方については両氏の考の何れ
にも三四を見たが、文字は出来ないが、然も Türkish Kagan といふ文字を稱せらるゝものである。銭文一部の読み方については両氏の考の何れ
の考の通り、教することは明白の事実である。さて両唐書に據ると、突騎施は西突厥の後裔で、一点の疑も無い、従つてラドロフ氏
別部で、部長烏質勒といふものが西突厥の滅後代つて其の地を占め、碎葉城即ち両唐書に據ると、突騎施は西突厥
を中心として伊犁賀勒の谷間から、東は北突厥、西はソグディアナ地方に、東帽は高昌及びの辺州即ち濱木鹿地方を領し(Tokmak)附近
たものである。烏質勒の勢の盛になつたのは唐暦三年頃(699・700)からの事である。其の死後六十年頃迄は、突
がもとして勢を得て、至徳大暦の頃、碎葉川地方に據り、突騎施を臣属せしめたまで、即ち七百年より七百六十年頃迄の間、即ち七百年間の鑄造に係ると
嵩邏蘇が勢を得した時代であるから、此の貨幣もまた此の間、騎施の勢力を得した時代であるから、此の貨幣もまた此の間、

トルコ族と佛教

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