National Institute of Informatics - Digital Silk Road Project
Digital Archive of Toyo Bunko Rare Books

> > > >
Color New!IIIF Color HighRes Gray HighRes PDF Graphics   Japanese English
0057 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 57 (Color Image)

New!Citation Information

doi: 10.20676/00000267
Citation Format: Chicago | APA | Harvard | IEEE

OCR Text

於て、漢北に於る回鶻の根據地方に所謂回鶻文字が行はれたる證左と見なすには足らず。

此の碑文の外には漢北時代の回鶻の文獻の今日に知らるゝもの極めて少く、僅かには足らず。Runeninschriften in der Nord-Mongolei と題して發表せるものを擧げ得べきのみ、此の中の第一は突厥文字系に屬する藁誌にして、然も回鶻人の製作に係り、其の所在地は庫倫と點愛斯(Kirghiz)人の子なれど、回鶻に在りたるものゝ爲に作られたるなり、其の Jadakhar, kan ata と云ふ岡の南方の役に當り、Arasakhan 河との間、Sulenga の東南東なる Sudzkindava といふ岡の西南西に記せるが、飼なる東に Thomsen 氏が Ramsted 氏に呼ばれ、彼に Dolonkhuduk(七世)の東南東なる Sudzkindava といふ岡の西南西に記せるが、飼なる東に Thomsen 氏が Ramsted 氏に呼ばれ、彼に
飼に人百人と住所を記せるが、此の場合に其の Ramsted 氏が、
に與へたる書簡に見ゆるが如く、摩尼教及びネスト派基督教士を指せることに明かなれば、此の場合に摩尼
於ては、Chavannes 氏も既に考へたるが如く、勿論摩尼教士を指せることに明かなれば、此の場合に摩尼教の滿したることを證明すべき根本史料⑧一なりとす、而して注意すべきことは、かく回鶻に摩尼教の行はる
に至りたるものより後、其の教を奉じたるものゝ藁誌を記するに當り、之に用ゐられたる文字は所謂回鶻文字に非ず
て、偽售來の突厥文字なるに至ること無なり、Ramsted 氏の解説する第二のものは、亦突厥文字を以て記さるゝ碑文にして、紀元二年(七五五)より紀元二年(七五五)迄滄世、唐贊に蓋
て、tängrida bolmïš il tutmiš bilgä kagan 即ち天寶六載(七四七)より前なる其の墓上に建てられ
勒汗唐廷駐節と記さるゝ回鶻可汗の爲に、額魯赫⑩(Orögü)山谷 Sine-usu 湖の北方なる其の墓上に建てられ
たるものなり、此の如く回鶻が南漢北に據りし時代の文獻には、一として回鶻文字が用ゐられたる證據は、摩尼教輸入の前後何れの時代に於ても歴然として存するも
の無く、却りて其の間に突厥文字の用ゐられたる證據は、摩尼教輸入の前後何れの時代に於ても歴然として存するも

回鶻文字 考