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0061 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 61 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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buγu とは、他に両者の相異なる名稱なるを認むるが
常然なるべければ、若し氏の推察を証明するとすれば、此の貨幣を提出せられざる問は、其の同一なるを認むる
の貨幣に於ける、然れども牟羽と buγu との同一なるものとにして、余が近逃牟羽可汗を覆すに足るべき匹証云は
る可らず、然れても牟羽と buγu との同一となるべきは、容易に推定するものとにして、余が近逃牟羽可汗を覆すに足るべき注意すべき
は、Le Coq 氏の推定に従がへば、摩尼教を回鶻に輸入したる牟羽可汗が高昌に来りて、其の地に在る muxtak(墓
関)に、Le Coq 氏の推定に従がへば、摩尼教を回鶻に輸入したる牟羽可汗が高昌に来りて、其の地に在る muxtak(墓
関)に、廻ふるものか明らかならず)を協議したることになれど、之につきては Chavannes, Pallior 両氏も匹
方に廻ふるものか如く、牟羽可汗の時代に回鶻の勢力が高昌地方に及びたるものとは認むることが出来ず、従って此の可汗が高
に来りてかゝる事件を処理したりとは信じ得べきことに非ず、次に文音際の類似の上より両者の同一を説かんと
昌に対しても、許可らざる理由あり、何となれば Kutlug-Bögu と記せり、されば唐書に乙を牟羽を以て寫
するに如く、牟羽可汗にしては、許可らざる理由あり、何となれば Kutlug-Bögu と記せり、されば唐書に乙を牟羽を以て寫
が讀歳したるが如く、牟羽可汗にしては、許可らざる理由あり、何となれば Kutlug-Bögu と記せり、されば唐書に乙を牟羽を以て寫
せるは此の評法なりとす(ğü 兩母音の間にある g 音の極めて翻訳しこ
とにして、羽は此の極めて通常の評法なりとす(ğü 兩母音の間にある g 音の極めて翻訳しこ
とにして、羽は此の極めて通常の評法なりとす(ğü 兩母音の間にある g 音の極めて翻訳しこ
見ゆる、buγu を以て、直ちに牟羽(Bögu)に対して g 音を前有せるğü 音を寫んとするもの外ならずして、其の存在せざる所なりと云はざる可らず。
又、Alai-addin の Tārīkhi-jihānkushāi には、uγur の音に擬るとして、興味ある回鶻開國の傳説を載せ、uγur
Bugu khan といふものを以て其の初代の君長とせること能く知らるゝが如くなるが、此の傳説は最も近代に於て

回 鶻 文 字 考
一一