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0078 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 78 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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余は前節に於て此の文字の系統につき、ソグド字族に於る摩尼教徒の用ゐたるものより發達せりとする説の正し
きを述べたり。然るに此の文字は此の時以前に於て既に摩尼教の前中に於て、実騎施の間に行ゐれたりとすれば、其の發達
に関する最も自然なる解釈は、此の如く既に八世紀の前中に於て、実騎施の間に行はれたりとすれば、面してソグド文
字が彼等により使用せられたるものと見るに在るとし、今此の間の消息を貪むるに、碎葉城の地方は早くより
り摩尼教の一派なる Mazdak 派、Samanband, Alšbdašb, Barthold 氏も摩尼教に遡りて禁絶せらるゝや、
Shānaštanī によれば、マズダク派は其の河邊に位したりとせらる⑧ との間に初めて文化を傳へたるものなり、Sir 河と Chu 河
(即ち吹河)にして碎葉城は其の宗教は他の宗教と同じく、支那に傳来するに至る迄は、必ず其の中
と見るは誤無かるべしと説き、思ふに此の宗教は他の宗教と同じく、支那に傳来するに至る迄は、必ず其の中
途に於る語國に幾多の誤傳したるものなるべけれど、現在せる記録の不備を以てしては、其の跡を明らかにする
能はず。然れどもなるものを証明し得べき所に信ず
以前に匹に行はれたるものなるは今一新材料の示す所により、此の教が天山の南、タリムの盆地に於て、支那に於けるよりも

Pelliot 氏が敦煌の佛洞より蒐たる沙州圖經によれば、其の詳瑠篇蒲昌得五色の條に

大周天授二年(六九一)臘月、得石城鎮節度抵就廷副使合模狀
と記し其書中に、八月以来蒲昌海(Lop. Nor)の永清則朔散散、五色の詳瑠を呈せる旨を遊したりしことを記せ
り、石城鎮といふは、買耽の道里記に、漢の樓蘭なりと見え、Stein 氏の詳瑠を呈せる旨を遊したりしことを記せ
且つ唐の商宗の上元二年に、此の名に更たるためたりと記せるものにして、Lop. Nor の南に當る地なること Pelliot 氏

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