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0090 羽田博士史学論文集 : vol.2
羽田博士史学論文集 : vol.2 / Page 90 (Color Image)

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doi: 10.20676/00000267
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て、囘闔の助けによって漸くその勢を盛り返すことが出來てからは、綱紀長く盛きず、金銀繒帛を贈り公主を降嫁せしめて其の歌心を買はうとした如きは寧ろ屈辱であつたかも知れぬので、終には天子馬を下つて囘闔の可汗を拜するといふ樣なこともあつたのである。かゝる如き永遠に便へるのが常例になつた、もとよりこのことは美蓉を連れてその稱號を贈り、死あれば其の功業を交じして永遠に便へるのが常例になつた、此等の碑文は大抵三程の如字で書かれるのが常で、一方には漢文を以て書き一方にはニセイ文字囘闔文字などで記して居るが其文句は必ずしも同一ではな
い、此等廣に世よ囘闔に世よトルコ人種であるから、して、その文字の如何に其文を解釋するについても、皆此考を用ゐいたものであらうとは誰しも想像すべきことで、從來多くの學者が此等の碑文を考古圖(Atlas der Alterthümer der Mongolei)を出版し
の下此研究をすゝめて行つたものである。偶今は少しく贊西亞の東學者 Radloff 氏の如きもその一人である。然るに此原則は今日では少しく動搖を持たねばならぬことになつて來た、即ち囘闔文字などで書いてある碑文は必ずしもトルコ語からしてと今日危急國語を以て書いてもその考を少しも疑はなかつたのである。
諸許ではないと云ふ考を持たねばならぬことになつて來た、きことは當然のことで、之が爲に從來の學者はトルコ語で書いたものだとの考を少しも疑はなかつたのである。
東方語の研究の結果によると、終にそれは、誤りであることが證據立てられて居る、けれども近頃頻りに進むで來た古代
氏は、すなはち此の新研究をなした人で、一九〇九年の Sitzungsbericht der königlich preussischen Akademie

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